
キリスト教の歴史が深いヨーロッパを旅すると、必ずと言って良いほど耳にする「アダムとイブ」の物語。
例えば、クリスマスツリーにりんごやボールを飾るのは「イブが食べた果物だから」とも言われます。
楽園を追われるアダムとイブの絵は、美術館でも良く見かけますね。
それほど、キリスト教にとって大切な物語なのです。
ヨーロッパの文化をより深く理解するためにも、全ての人類の始まりとされているアダムとイブの物語を知っておきましょう。
アダムとイブの物語とは、どんな話?
まず、アダムとイブの物語は「旧約聖書」の最初の部分である、この世界が創られた様を記した「創世紀」に書かれているものです。
旧約聖書とは、ユダヤ教およびキリスト教の正典のこと。
イスラム教も、旧約聖書の一部分を啓典としています。
旧約聖書は、【天地創造】の章から始まります。
- 創造第一日目:何もない真っ暗な世界に、神は光を与え、天と地を創りました
- 第二日目:大空を創りました
- 第三日目:海と大地を創り、そこに草や樹を芽生えさせました
- 第四日目:太陽と月、星を創りました
- 第五日目:地上に動物と鳥を創りました
- 第六日目:神は自分を模って男と女を創造しました
- 第七日目:天地万物を完成させた神は安息し、第七の日を聖別し祝福しました
そして次に、【アダムとイブ】の章に移ります。
神は天地を創造し、第六日目に自分を模って土で男を創り、鼻から命の息を吹き込み命を与え、アダムと名付けました。
次にアダムの鋤骨から女を創り、イブ(エバ)と名付けました。
神は二人を苦しみの一切ない、天国のような楽園「エデンの園」に送り、美しくおいしいあらゆる植物を生やしました。
そして園の中央には、「命の木」と「善悪の知識の木」を生やし、神は二人に言いました。
「人間にこの園をあたえよう。自分たちで耕し、守り、全ての木から実をとって食べなさい。ただし、善悪の知識の木の実は決して食べないように。食べると必ず死んでしまうよ。。」
そう言い聞かせました。
神の創った純粋無垢な二人は、羞恥心も猜疑心も持ち合わせていませんでしたから、美しいエデンの園を生まれたままの姿で、神の言いつけを守って幸せに過ごしていました。
ところがある時、知恵を授けられた蛇(悪魔の化身)が、イブの耳元でこうささやいたのです。
「この善悪の知識の木の実を食べてごらんなさい。決して死なないし、むしろ目が開け、神のように善悪を知る者となるのだよ。」
イブは蛇の言葉に惑わされ、とうとう禁断の果実を手にし、食べてしまうのです。
それは甘やかでおいしく、イブはアダムにも食べるよう勧め、とうとうアダムもそれを食べてしまいました。
その瞬間、二人の中に羞恥心や猜疑心、自己防衛、怒り、嫉妬、悲しみ…など、無垢とは反対の感情が芽生えたのです。
二人は自分たちが裸であることに気付き、すぐさまイチジク葉で身体を隠しました。
これを知った神は激怒し、約束を破った罰として女性には産みの苦しみを、そして男性には命を終えて土に返るまで、土を耕して食物を得る苦しみを与えました。
そして二人をそそのかした蛇には「一生腹で這い回り、あらゆる家畜や獣の中で呪われる存在となるのだ」と言いました。
アダムとイブには、エデンの園にある「生命の木」の実を食べて不死となる権利を与えないとし、園を追放されることとなりました。
「善悪の知識の木の実を食べると死んでしまう」という神の言葉通りになったのです。
神の言いつけに背いたことで、永遠の命と引き換えにエゴを手にしてしまった人間の罪…これを、キリスト教でいう人間の【原罪(一番最初の罪)】というものです。
アダムとイブが禁断の果実を食べてしまったことから、神の子であり、本来は神と同じような能力を持つはずの人間が、生まれながらに根本的な罪を背負っているとされているのです。
それを、この人生でキリストを信じ祝福をいただき、罪を許されることで天国へ導かれようとするのが、キリスト教の教えなのです。
アダムとイブは神の楽園から追放され、人間は地上で神の子(キリスト)の降臨を待つ運命となったということです。
キリスト教の正典である旧約聖書には、アダムとイブの物語に続いて、皆さんが良くご存じの物語が次々に出てきます。
ノアの箱舟や、バベルの塔、そしてモーセが神から十戒を授かり、海を割ってエジプトを脱出する物語など…。
この「ノアの箱舟」の主人公であるノアは、アダムとイブの10代目の子孫なのです。
そしてなんと、アダムとイブの59代目のヨセフの妻マリアが、イエス・キリストをこの世に生んだのです。
アダムとイブの時代から待ち望んだ、神の存在の降臨が、やっと現実となったのです。
旧約聖書における、アダムとイブの位置づけがおわかりいただけましたでしょうか。
善悪の木の実は、りんごではなかった?
実は、旧約聖書のどこにも、「善悪の知識の木の実」が「りんご」だとは書かれていないのです。
ではなぜ、世界中で「禁断の実」はりんごであると定着したのでしょうか。
その理由の一説としては、旧約聖書はヘブライ語で書かれてあり、それを当時の公用語であったラテン語に翻訳する際に生じたと言われています。
「善悪の知識の木」の「悪の」にあたる「malus」という単語が、実は「りんご」の綴りと同じであったのです!
そのため「禁断の実=りんご」という解釈が定着し、広がっていったとされています。
ヨーロッパでは男性の「のど仏」を「アダムのりんご」と呼びます。
アダムが禁断の果実を飲みこもうとして、のどに引っかかり、「のど仏」ができたと言われているのです。
面白いですね!
キリスト教にとって最も大切なクリスマスにおいて、ツリーのオーナメントとりんごの関係も、興味深いものです。
アダムとイブに関する最も有名な芸術品とは
キリスト教の歴史が深いヨーロッパでは、アダムとイブの物語は自分たち人間の誕生であり、この地上を苦しんで生きる根本ともなっている、大切なものなのです。
そのため、現在でも「アダム」や「イブ」の名前は、親が子供につける人気の名前ランキングで上位にランクインしているのです。
また、昔からアダムとイブの物語を題材に、多くの美術品が生み出されてきました。
その中でも最も有名なものをご紹介しましょう。
ローマ教皇公邸である、ヴァチカン宮殿内のシスティーナ礼拝堂の天井に描かれたフレスコ画。
かの有名な『アダムの創造』です。
ルネサンス盛期の1508年から1512年にかけて、ミケランジェロが描いた作品として、あまりにも有名ですね。
神が、最初の人類であるアダムに命を吹き込む瞬間が描かれています。
キリスト教にとって人類の誕生が全ての始まりであり、アダムとイブが原罪を犯したことが、キリスト教の意義に最も重要であることがおわかりいただけましたでしょうか。
このような背景を知ることで、ヨーロッパの歴史や美術がより面白く感じられることと思います。
また少しずつ触れていきたいと思いますので、どうぞお楽しみに!