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蝶々夫人のあらすじを簡単に紹介!オペラの見どころと有名な歌詞を動画で解説。

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蝶々夫人のあらすじを簡単に紹介!オペラの見どころと有名な歌詞を動画で解説。

日本を舞台にした有名なオペラ【蝶々夫人(マダム・バタフライ)】は、世界でも最も上演回数の多いオペラのうちの一つです。

その日本的で感動的な物語のあらすじと、見どころ、そして歌詞についてご紹介します。

また、ヨーロッパの人々にとって遥か東方の国である日本人を描いたこのオペラ作品を観て、どう感じたのかをまとめます。

日本が世界で高い評価を受ける所以もわかることでしょう。

オペラ【蝶々夫人】の背景

ミラノ・スカラ座

それでは、まずは作曲者などの背景についてご紹介します。

イタリア人のジャコモ・プッチーニが、1904年に作曲し、ミラノ・スカラ座で初めて上演されました。

もともとの物語の原作は、1898年にアメリカで発表された短編小説「Madame Butterfly」でした。

これをアメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコが戯曲(歌劇)として描き直して上演したものを、プッチーニが観て深く感動し、自分で曲を創りオペラとしたのです。

プッチーニが強く心を動かされたのは、蝶々夫人の純粋で深い愛と、その見事な生き様でした

彼は日本音楽や文化、そして宗教行事までも研究し、オペラの中で「君が代」や「さくらさくら」、「お江戸日本橋」などのモチーフをところどころに散りばめました。

西洋音楽とは一味違う、日本人に何とも言えない懐かしさを感じさせる、異色のオペラとなっています。

登場人物

  • 蝶々夫人:武家生まれの15歳。父が自害させられ没落したが、誇り高く純粋で、一心に夫を愛した。(ソプラノ)
  • ピンカートン:アメリカの海軍士官。日本駐在中の現地妻として蝶々と結婚した。(テノール)
  • シャープレス領事:駐長崎領事で、道理のわかった優しい人物。(バリトン)
  • スズキ:蝶々夫人の身の周りの世話ぞする忠実な女中。(メゾソプラノ)
  • ゴロー:お調子者でいい加減な結婚斡旋屋。(テノール)
  • ボンゾ:蝶々夫人の叔父で僧侶。(バス)
  • ケイト・ピンカートン:ピンカートンが後にアメリカでめとった本妻。(メゾソプラノ)

蝶々夫人(マダム・バタフライ)のあらすじ

オペラ「蝶々夫人」ポスター

舞台は1890年代の長崎。

まだ鎖国中だった日本では、長崎のみが外国との窓口として開いていました。

日本に駐在する高級軍人や商人たちは、現地妻として日本人女性と一時的な婚姻を結び、一緒に暮らしていました。

第一幕

アメリカ海軍士官であるピンカートンは、長崎駐在中の現地妻を探すよう、結婚斡旋屋のゴローに依頼していました。

ゴローが目をつけたのは、数年前に父親が天皇の勅令によって自害し、若くして芸者となった蝶々という15歳の娘でした。

今日はそのピンカートンと蝶々の結婚式。

お目付け役の長崎領事シャープレスや、蝶々の親族や友人たちが集いました。

ゴローが準備した二人の住まいは、長崎港を見下ろせる丘の上の屋敷でした。

蝶々はこの結婚を心から喜び、ピンカートンへの生涯の愛と忠誠を示すため、キリスト教に改宗までしていたのです。

シャープレス領事は蝶々の純粋な愛に気付き、ピンカートンに「彼女は本気だ。君の軽率な振る舞いで傷つけることの無いよう、良く考えなさい」と忠告しました。

しかし、ピンカートンは「この一時も本物の愛だよ」と聞く耳を持ちません。

キリスト教式の結婚式を挙げた後、ものすごい剣幕で現われたのは蝶々夫人の叔父で僧侶でもあるボンゾでした。

「おまえはこの男のためにご先祖や家族の宗教を離れたのか!それならば我々もお前との縁を切る!」と。

蝶々は父親が自害した際に用いた短刀を大切な形見として握りしめ、「私は愛を選択したけれど、誇りを捨てたわけではないわ」と打ち震えます。

ピンカートンは蝶々夫人を慰め、二人の愛の日々は始まったのでした。

(ここでピンカートンと蝶々夫人が歌う、愛の二重奏「可愛がってくださいね」が有名)

第二幕

結婚式から数か月後。

ピンカートンは日本での任務が終了し、アメリカ本国に帰ることになりました。

寂しがる蝶々夫人に「コマドリが巣をつくる頃には帰ってくるよ」と約束し、もう戻ることもないであろう長崎を後にしました。

女中のスズキがピンカートンはもう帰って来ないのでは…と疑うも、蝶々夫人に嗜められます。

蝶々夫人は夫の言葉を信じ、いつか晴れた日にあの人が帰ってくる…という情景を思い浮かべ、待ち続けるのでした。

(この時に蝶々夫人の歌う「ある晴れた日に」が有名。)

結婚式から3年が経った頃、シャープレス領事はピンカートンからの手紙で、彼がアメリカ人女性と結婚したことを知ります。

蝶々夫人に伝えようとするものの、今でも変わらず夫の帰りを強く信じ待ち続ける彼女の姿に戸惑います。

そして傍らに寄り添う幼子…ピンカートンと蝶々夫人との子どもを目の当たりにし、強い衝撃を受けます。

シャープレスはいたたまれず、「その子のことをピンカートンに必ず伝える!」と言い、去っていきました。

しばらくの後、蝶々夫人は長崎港から礼砲の音を聞きました。

長崎港にピンカートンの海軍の船が到着したことを知らせる礼砲でした。

屋敷から望遠鏡で眺め、夫の船であることを確認した蝶々夫人とスズキは喜び、家中を花で飾りました。

(この時に歌う蝶々夫人とスズキの二重奏「桜の枝を揺さぶって」が有名。)

子供と共に正装に着替え、ピンカートンの到着を待ちますが、彼はなかなか帰ってきません。

スズキと子供は眠ってしまいましたが、蝶々夫人だけは愛しい夫の来訪を、今か今かと朝まで待ち続けたのでした。

第三幕

朝になり目覚めたスズキは、憔悴しきった蝶々夫人を見つけ、奥で休むよう説得します。

蝶々が奥の部屋に入った時、ピンカートンとシャープレスが現われ、スズキにこれまでの真実を告げました。

そしてもう一人、アメリカ人女性を「私の妻、ケイトだ」と紹介したのです。

スズキは酷く怒りますが、蝶々夫人との子供を引き渡してくれれば、責任を持ってアメリカで育てると言う申し出に、何も言えなくなるのでした。

ピンカートンは蝶々の深い愛を踏みにじった卑劣な行為に罪を感じ、とても合わせる顔はないと、船に戻って行きました。

(ここでピンカートンが歌うアリア「さらば愛の巣」が有名。)

そこへ蝶々夫人が人の気配を感じ、夫に会えると目を輝かせてやってきます。

しかしそこで目にしたのはシャープレスと、見知らぬアメリカ人女性でした。

蝶々夫人は、一瞬で全てを悟ります。

そして武家の子女らしく、凛と背筋を伸ばし、礼儀正しくケイトに挨拶をしました。

子供を引き渡す準備をするので、30分後に再び来るよう願い出ます。

シャープレスとケイトたちが立ち去った後、蝶々を気遣うスズキに「子供を外で遊ばせるよう」と命じます。

一人になった蝶々は、仏壇の前で父の形見である短刀を取り出し、「名誉のために生きることが叶わないならば、名誉のために死にましょう。」と自害しようとします。

その瞬間、子供が駆け寄ってきます。

蝶々夫人は「あぁ、私の坊や!」と子どもを抱きしめ目隠しをし、喉に短刀を突き立てました。

ピンカートンとシャープレスが戻って来た時には、既に時は遅く、子供に手を伸ばしたまま息を引き取った蝶々夫人がいたのでした。

おわり。

有名な見どころと歌詞

上の動画が、第一幕で有名なピンカートンと蝶々夫人の愛の二重奏「可愛がってくださいね」です。

叔父に親族との縁を切られ、打ちひしがれる蝶々夫人を優しく慰めるピンカートンとの愛の歌。

甘く情熱的ですね。

こちらは、第二幕で有名な蝶々夫人のアリア「ある晴れた日に」です。

有名なメロディーですので、耳にしたこともあるかもしれません。

ピンカートンがいつか帰ってくる…という情景を夢を見るように歌い上げる蝶々夫人の愛に、涙が出そうになりますね。

こちらは第三幕で、ピンカートンが蝶々夫人に合わせる顔がないと、船へと逃げ帰る時に歌う「さらば愛の巣」です。

自分の犯した罪の重さに耐えきれず、逃げ出す卑怯者と自分を責め、それでも二人で暮らした美しい思い出を一生苦しみと共に背負うと誓います。

蝶々夫人の誇り高き精神が引き立ち、益々この物語の感動が高まります。

いかがでしたか。

プッチーニの惚れ込んだ、日本人女性の美しい人生。

私たちにとっても染み入るものがありますね。

是非、オペラを実際にご覧になってみてください。

色々な演出があり、感動することでしょう。


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